やぶれかぶれの理科教諭その3

深入りしたっていい・・・のつもり

 

理科の教科書に載せられている、いわゆる科学用語はそんなに多くはない。     理科授業は探求の過程を重視するから、その科学用語を理解させるために、観察をし、実験をし、データ分析をし、一般化するという手法をとることが多い。ネットや図書館で調べれば瞬時に教えてくれるものを一時間かけて扱うわけで、その探求の過程に興味を持たない子や、意義を見出せない子は退屈でならない。

一クラス35名であれば、35通りの素養を持った子がいるわけで、しかし教える先生は一人であるところに、教師に与えられた責務は大きい。

例えば”三角州のでき方”にしても、教科書では2~3行で終わり、生徒は理解したつもりでそのまま覚えれば済んでしまう。他に扱うべき重要な題材があるとしてそうなったことと思うが、これでは理科授業ではない。つまり、要領で言いたいことは、ここを扱う理科教師の度量を試しているのかもしれない。そう考えると、理科教師としてがぜん面白くなる。やってやろうじゃないか!

教科書には”三角州のでき方”と言う題材はない。紹介程度の扱いだ。私はこれに食いついた。

”流水のはたらき”の中で、浸食・運搬・堆積は、ちょっとした実験観察で取り扱われ,理解されているとした上で、三角州に取り掛かる。

第一時限目、B4大の用紙に乗せた一握り程度の校庭の砂を分ける。それを各個に分配し、枝付きバリと定規を使って、粒径(mm)7、5、4、3、2、1、0.5、0.3、0.1、粉状の粒と分類させる。神経質に測ったら気が狂う。4人で1班の編成だから、世間話に花が咲いて、およそ理科授業からはかけ離れてくるが気にしない。

2時限目、一転して緊張感漂う実験になる。長さ45cm~1mの試験管をスタンドに取り付け水を張り、前時に分類した砂を薬さじで落とし、各粒径ごとの水面から水底に落下する時間を測定するのだ。とまあこう書けば簡単なようだが、どっこいそうはいかない。まずそんなに長い試験管などありはしない。悩んだ末に振り仰いだ目に飛び込んだのが、天井に張り付いた蛍光灯だ。教頭先生には、各教室の消えかかった蛍光灯を交換しますと許しを得て活動開始だ。結構な数が集まって作業開始だ。蛍光灯中の水銀蒸気は扇風機で窓外に追い出す工夫をしてから、熱線を用いて蛍光灯の端を焼き来った。蛍光塗料は中に砂と水を入れ上下に振れば簡単に取れる。壁は薄いが最高だ。ただ鉄製スタンドに取りつけるには、神経の集中と力の入れ加減が大切になる。ちょっとでも傾けたり締めすぎると、いとも簡単に試験管が割れる。割れたらしまいだ。        薬さじで掬い乗せた砂を落とす係と、ストップウォッチで時間を測定する係とのタイミングが要求される。しかも、落とした砂は一塊になって落ちてくれればいいが、粒質の異なる砂粒は広がって落ちてくるからどれを測ったらよいかわからない。平均の概念が必要だ。子供たちは大騒ぎだが真剣だ。ひやひやしながらデータ取りをする。

3時限目、前日にとったデータを使って、縦軸に落下に要する時間、横軸に粒径を取ってグラフにする。子供たちはそこで得られたグラフを見てびっくりする。粒が大きければ早く落ち、小さな粒ほどゆっくり落ちることは観念的に知っていたが、グラフから読み取れることは発見の部類だ。数学でいう双曲線の片割れのようなグラフが目の前に登場する。この結果から、砂粒の水底に堆積する状態を図に表すことは容易だ。重要なのは次の声掛けだ。「今回みんながやった実験は、試験管の中に水が止まっているときの土砂の堆積だが、この水が一方向に流れていたら土砂はどのように堆積するか推定できるかな? 図にかけるかな?」9割近い生徒がみごとな三角州の土砂の体積の様子を図に表した。

指導書では、1分程度の扱いのように記されているが、思い切って3時間かけた。当然他の単元又は題材でその埋め合わせをしないとならなくなる。そこも理科教師の腕のみせどころだ。

 

 

 

やぶれかぶれの理科教諭その3

みんなで天文博士・・・のつもり

 

理科授業でいつも消化不良を起こしそうな単元が、星座の観察と星の日周運動だ。星は夜しか出ない。せいぜい、おためごかしの星座投影機を使用して、しかも、高価な投影機は夢物語だから、必死に臨場感あふれる説明に心掛けるが、無理がある。

こうなったら、授業は夜やるしかない。時間の制約を考えなければ、一晩中に3つの季節の星座が、しかも日周運動も併せて見せられる。星座のオンパレードは冬だから、冬を中心に秋・冬・春が見られればいい。観察は寒すぎる真冬を避けて、秋の11月初頭がいい。同時に秋と春の星座をものすることができる。人工衛星の飛行が見える。感動を呼ぶ惑星をいくつか捉えられる。やるっきゃない。

当時、若造であった私は、十分にやれると自信があったが、理科主任はもちろん、校長が許さないだろうと、一時悩んだ。

理科主任は「う~ん」と、答えを留保した。ところが、何と校長は、「保護者との十分な共通理解を測り、賛同者のみ参加させて実施するように。その場合不参加者が出た場合は、その子に対して十分な保証をしておくように。もちろん実施する場合は、安全管理に十分気を配り準備をしておくこと」と許可された。さすがだ。

早速保護者にお知らせと生徒の参加希望書を作成して配布した。当時、学年は6クラスあったが、驚くことに各クラス2~数名の欠席者を除いて希望が出た。驚いた。予想では、半数あればいいかなと思っていたから、私が驚いた。みんなで学校に泊まれるという興味もあったろうことは間違いない。一斉にはできないから、1クラスごとに実施した。当然のごとく私は6回の泊まりを体験することになった。私一人ではできないので、クラス担任と理科担当教諭に協力を依頼したところ、皆さん喜んで(?)協力を承諾した。

早速、実施日は、金土又は土日の一晩とし、夕刻から朝方までの時程を作成した。観察・休憩(おやつタイム)・仮眠を程よく織り交ぜ、食事については、夕食を家で取ってから学校に集まり、朝早く家に戻って朝食をとることにした。先生方も同じだ。

いよいよ観察会実施。この日のために自費購入した30cm反射望遠鏡が威力を発揮するはずだ。

校舎の屋上は寒い。防寒着で着ぶくれした子供たちが集まる。

薄暗くなりかける午後5時ごろ、西の空にひときわ明るく輝く星を発見する。宵の明星だ! 望遠鏡でのぞくと教科書に乗せられている金星を自分のものにすることができた。「明けの明星は、朝見えるんですよね。明日の朝が楽しみ!」という子もいたので、翌夜明け前に探すことを提案した。その子にとっては一大発見をすることになった。理屈は教室理科授業でやればいい。自分の誕生星座をも期待してもらう。

午後8時頃南天高くぺガスがかかり、西の空にはわし座、白鳥座等々、秋に活躍する星座たちだ。ついでに、北斗七星、カシオペアアンドロメダとご対面だ。西の空に三日月に近い月が鋭い光を放っている。

真夜中の零時は、冬の星座のオンパレードになる。まるで招待者のように土星木星まで南天にかかる。鏡をのぞいた生徒の口から思わず悲鳴に似た歓声があったりして、私が焦る。しかし周りを畑と山林に囲まれた田舎の学校ならではの特権をありがたく頂戴している。足元から這い上がる冷気が容赦しない。二人で一つの毛布にくるまった子供たちもいる。それぞれの星座が1時間にどれだく動くかはすぐわかる。

そしてあくる日の午前4時頃になると東の空に、春を代表するしし座が上がり、スフィンクスを思わせる品のいい座り姿にはいつもながら安ど感を覚える。11月中旬に参加する子供たちは、おとめ座のスピカにも面会することができる。

火星を覗くと、夜の天体観察会が終了だ。

腹をすかせた子供たちが自宅に帰っていく。先生たちも帰っていく。感謝、感謝、感謝! とりわけご協力いただいたご家族の皆さんに感謝!

 

 

 

やぶれかぶれの理科教諭その2

楽しかった学習会・・・のつもり

実に恥ずかしいが、この学習会は自己満足だった。子どものためと意気込んでいた自分がいて、子供のつらさやご両親の心配を考えなかった。その能天気ぶりのエピソードを2つほど紹介したい。

【泥長靴のお父さん】

秋の気配が漂い始めたまだ暑さが残る9月下旬のある日、例によって、満点学習会が始まった。何回か続けると、集まってくる面子はほぼ同じで、“同志の桜”的な雰囲気が漂ってくる。元気よく飛び込んでくる子や、「また会ったな!」と手を打ち合わせる子がいたり、実に楽しい。その中に、初めて参加する女の子がいた。普通なら参加するはずのない能力を持った子だが、今回は失敗してしまったようだ。部活終了後だったので、参加した時刻が遅くなってしまった。

静まり返った理科室。闇が刻一刻と深くなる。間の悪いことに、今日一日曇天であった空がこらえきれなくなってか、ぽつりぽつりと雨模様。

その時だ、理科室庭に面した引き戸が勢いよく開かれて、やや赤ら顔のおっさんが何やら叫びながら突入してきた。進む向きが私に向けられていたので、生徒には危害は及ばないとは思ったが、身構えた。彼曰く「せんせ! あまりにも非常識だろ! 下校時刻はとうに過ぎてる。こんな夜遅くまで女の子を残すなんてふざけるのもいい加減にしてくれ! あんたの給料は誰が出していると思っているんだ!」見ると、出入り口の戸は開けっ放し、足は泥だらけの長靴、酒の匂いがプンプン、威勢がいい。私曰く「お父さんですね。遅くしてすみません。今子供たちは一生懸命勉強している真っ最中です。」「みんな! 緊急事態が発生したから今日の満点学習会はこれで終わりにしよう。終わっていない人は家に持ち帰ってやってこい。明日提出だ。お父さんお母さんには、学校の電話で連絡をしておきなさい」「お父さん、まずはこちらへどうぞ」女の子は顔を隠すようにして机に突っ伏している。「お父さんと少し話をしてくるので、少し待っていてくれ。心配はいらないからね」面談室に案内したお父さんと二人、教育論の話になったが、二人になると私もいささか元気になり、教育持論を展開した。多分正論ではなかったような気がする。お父さんも大声で何か話していたが、私も熱っぽく応えた。不思議なものでその熱が伝わったのか、理科室に残した娘が心配になったのか、酒が少しさめたのか、最後には「先生、とにかく娘をよろしくお願いします」「私も言い過ぎたところがあり、お詫びします。今後ともよろしくご協力お願いします。」

長靴を手にしたお父さんと、満点学習会で使用したプリントを私に差し出した娘さんの姿が異様にまぶしかった。

 

映画の名シーン・・・のつもり

冬だ。今日は一日寒い。いつ雪になってもおかしくない。

満点学習会は、理科室で行うから、寒さが一層身に染みる。今日も常連が集まってきたが、とりわけ記憶力?(理解力?)に弱い男の子が一人取り残された。教科書を見ながら、説明を付け加えながら、プリントを何度も取りかえて挑んだ。時刻は9時を回って外は真っ暗だ。鉛筆を握る手が一瞬動きをとめて、顔を上げた彼がつぶやく。「あっ!雪だ」「ほんとだ、雪が降ってきたな」二度目に顔を上げた彼がつぶやいた。「あっ!お母さんだ。」理科室から遠く離れた通りにあるぼやけた街灯の下に、赤い小さな車が止まった。しばらくして提出してきた答案用紙は満点だった。丸を付ける私の手元を凝視していた彼は、最後の丸を付け終わった時、「やったー」「頑張ったね!」満面の笑みをたたえて幸せそうだ。急げばいいのにゆっくりと身支度を整え、ゆったりと理科室を出る。

真っ暗闇の中に雪が降る。プロムナードの街灯にわずかに照らし出された雪と、その中を小走りに走る白い肩掛けカバンが踊る。「せんせい さようなら~」車に近づいた彼を迎えて、ドアが開く、次いでお母さんが前に出て深々と腰を折っている。まもなく、二人を乗せた赤い小さな車が姿を消してゆく。

その彼とは、今も私と半定期的に食事会を重ねているが、ほとんどが彼の方から声をかけてくるので、済まないと思っている。

 

ほとんど自己満足の世界で恥ずかしいが、それでも少しは子供たちのためになったのではと思う。その当時はある新聞社や出版会社編集の実力テストなるものがあって、地区一斉に実施され、個人だけでなく教科の学校順位まで分かってしまう。自慢話と取られてもいいが、理科教科はそのころトップクラスを維持していた。

                                  30.10.1

 

 

 

やぶれかぶれの理科教諭その2

一生懸命教えてる・・・のつもり

 

能天気でお調子者の男のやることは、困ったものだ。今の時代に、こんなことやったら間違いなく訴えられて大問題になってる。時効(自己勝手に)ということで白状するので、ちょっとの時間、拝借します。

理科は他の教科と違って、1時間の中で覚えねばならない用語は数個、多くて10個以内に収まる。記憶力が普通なら数分で覚えられる。ところがこの科学的用語の意味を理解させるのに、観察をさせ、実験をし、検証し、法則を導き出すまでに、1~2時間かけるのが理科授業。この法則に裏打ちされた用語を使って、次の科学現象に挑むわけだ。したがって、この科学用語の意味を知ることは、次の理科授業に必須になる。

そこで考えたのが、満点学習会と称する虎ノ門道場だ。当時は意気揚々と元気よくやっていたが、今考えると実に恥ずかしく、保護者にご心配をおかけし、申し訳なかったと思っている。俗にいう“若気の至り”ということでご容赦願いたい。

単元が終了すると、まとめてストをやるのは、だれしもやることだが、私はその前に、穴埋め式の“用語記憶力テスト”を行う。テストなどとおこがましい限りで、要するに覚えていればいいのだ。

 例 三角州とは、川の上流から(   )されてきた土砂を、(   )付近に   

  (   )してできた地形のことである。

あえて、三角州という語は(   )にしないのがみそだ。子供たちはそれを知っているから、意味を覚えるようになる。

子供たちにとって恐怖は次だ。特に記憶力の弱い子にとっては苦痛だ。つまり、8割以上正解なら合格、10点以上8割未満正解までを再テスト対象者とした。問題は、9点以下は“見捨て”と称してテストを受けなくてよいとしたことだ。これに保護者が驚いたというか怒り出して、「先生は、勉強できない子を見捨てるのですか! 教育者のやることではありません。」とやられた。でも若気の至りで1歩もひかない。

当然ながら、9点以下の生徒が何名か出てくるわけで、開始した1~2回目あたりまでは、見捨てられたままでいたが、そのうち、「先生、再テスト受けさせてください。」という子が出てくる。必ず出てくる。多分その子の保護者のアドバイスのような気がする。そうなると、おれもわたしもと申し出てくる。

再テスト後がまた恐怖だ。合格点をとれないと、満点学習会に突入することになる。これは強制的に参加させる。読んで字の通り満点取れるまで帰れない放課後の学習会だ。部活動を終えてからの参加だから、夕刻の5時を過ぎて参加する生徒が多い。私もその日はさすがに部活を早めに終わらせて子供たちを待つ。記憶の苦手な子はいるもので、いつまでたっても覚えられないし、私も言い出した手前、覚えられるまで付き合うことになる。あの手この手を使って覚えさせる。だから、一番遅かったのが夜の11時近くになった時もある。ご両親の怒りはごもっともだ。でも引かない。電車通の私は当然、学校に泊まりとなる。私の神さんはといえば、「大変ね」とだけ言ってあとは何も言わない。これがちょっと薄気味悪い。夏はいいが、冬は正直参った。

こんなことがあった。・・・は、次回紹介といたします。       30.9.30

 

 

やぶれかぶれの理科教諭その1

一応、理科教諭・・・のつもり

 

宇都宮大学中学校教員養成課程理科で入学。途中から教育学部に名称変更。理科物理学を選び、卒業論文量子力学演習を済ませることで認められる。

私はもともと研究肌ではないので、この程度で私にはあっていたが、研究室の教授にとっては迷惑この上ない。何せ知識がないから学力がない。従って学問への熱意がないから積極性がない。教授には本当に迷惑をおかけし、ただただ恥ずかしい限りで、その上単位までいただき、無事に卒業できたことを感謝しています。しかし、人生何が起きるかわかりません。その教授に現在の妻との仲人まで引き受けてもらいました。教授は今はこの世におられませんが、奥様との交流は今も取らせていただいております。

そんなわけで、教員採用試験は多分最劣等で合格になったのでしょう。新任地は、実家からはるか離れた県東端の、当時県下最少人口の町といわれたO中学校でしたが、周りは田んぼに囲まれ、北に日光連山、東に八溝山系、近くを那珂川の大河が流れているという、ぞくぞくするような魅力にあふれたところでした。私のために用意してくれた学校でした。

そこでの生活が、私の理科教諭としての基本中の基本を教えてくれたわけで、ここで初めて理科教諭の面白さを知ることになりました。目を上げると八溝山系が軒を連ね、町東端には、滔々と流れる那珂川が私を呼んでいます。呼ばれたからにはいかねばならない。土日の部活動終了後は、子供たちと植物採集や化石発見の旅に出かけます。夏には那珂川に水浴びに誘い出し、よくまあ事故が起きなかったと、今になって胸をなでおろしていますが、当時は学校にプールがなく、毎年水難事故がある那珂川でも場所を選べば、水泳禁止のお触れは出ていなかった(?)のです。

理科教育は、動植物の観察から始まるのが常套手段、を地で行く環境が私を奮い立たせます。もう楽しくて楽しくてたまらない。子供との付き合いが深くなると、授業にそれが現れます。理科室に飛び込んでくる生徒たちは、そのまま理科授業のアシスタントになり、実験準備はほとんどが生徒たちの手になります。試験管の洗い方、薬包紙の使い方、薬品の注ぎ方、バーナーの点火の仕方、顕微鏡の使い方 等々実験に必要な基本的作業は改めて教えなくとも、遊び半分で覚えてしまう。だから、授業中はポイントだけ指示すれば、あとはみんなで教え合って、実験技能は身についてしまう。

新採教員には、研究授業が回ってくる。どういうわけか、採用されたその年に、全新任理科教員が集まる研究会場となってしまった。優秀な連中の前で、私がまな板の鯉になるわけで、研究授業をせねばならない羽目になった。これは困った。理科教諭としての素養がまだ備わっていないこの私が研究授業をやることになったのだ。しかし、よく考えると、問題の多い授業をした方が集まってくる先生たちには勉強になるはずなのだ。そこに気が付いた私は、逆に面白くなった。先輩教師、そして時折指導主事の指導を受けながら、どうやら指導案が完成した。賢そうな顔がいっぱい集まった。相変わらずの賑やかな理科授業が始まり、無事に(?)終了。クラスのリーダー格の一人が、理科室を出る前に一言「先生! 案外落ち着いてましたね。お疲れさまでした。」こうなるとどちらが先生だか分からなくなる。

授業研究会が始まった。今となっては何を言われたか定かではないが、あまり良い評価はされなかったように感じる。結局それはある意味反面教師で、集まった先生方の勉強になったはずだ。私は褒められなかったが、指導主事からは、生徒の積極的な動きと実験の手際の良さを絶賛してくれた。これでいいのだ。あとは私が少しずつ成長すればいい。

以上が、私の新採時の一コマですが、そんな楽しい生活も、私の結婚話が持ち上がり、2年でその地を離れることになった。涙が流れて止められなかった。

 

ご挨拶(ブログ初開設)H30.9.21

初めまして、養田 遊太郎(ようでん ゆうたろう)と申します。

74歳のおじいちゃんですが、最近、体の一部にがんが見つかったぐらいで、元気です。10月には手術をして取ってしまいます。

ところで、なぜブログを始めようとしたかを、聞きたくはないでしょうが、初めて開設するものとしての礼儀のような気がして、簡単に述べさせてもらいます。

私は、中学校理科教諭で38年間、楽しませてもらいました。退職後、なんと雇われ幼稚園長になりました。不思議な感じです。今、ボランティア三昧で、ちょとの暇を見つけては趣味の音楽を楽しんでます。

今のご時世、どっちを見てもほんとに大変ですね。私と同じ職業につかれた先生方のことを考えても、気の毒なようです。経験を生かして、もし迷っていたり悩んでいる人がいたら、アドバイスをと考えますが、いかんせん、カウンセラー的資質もないし、あまり褒められる体験でもないので、私の人生をずらずらと書き並べて、読みたい人に読んでもらうことにします。

内容は、

1 やぶれかぶれの理科教諭

2 楽しみまくった部活動

3 幼児との遊びは世直し大明神

4 私の懺悔録

5 大人の遊びか・・・?

とまあ、こんなところで行きたいのですが、どうでしょうか。よろしくお願いします。