やぶれかぶれの理科教諭その2

楽しかった学習会・・・のつもり

実に恥ずかしいが、この学習会は自己満足だった。子どものためと意気込んでいた自分がいて、子供のつらさやご両親の心配を考えなかった。その能天気ぶりのエピソードを2つほど紹介したい。

【泥長靴のお父さん】

秋の気配が漂い始めたまだ暑さが残る9月下旬のある日、例によって、満点学習会が始まった。何回か続けると、集まってくる面子はほぼ同じで、“同志の桜”的な雰囲気が漂ってくる。元気よく飛び込んでくる子や、「また会ったな!」と手を打ち合わせる子がいたり、実に楽しい。その中に、初めて参加する女の子がいた。普通なら参加するはずのない能力を持った子だが、今回は失敗してしまったようだ。部活終了後だったので、参加した時刻が遅くなってしまった。

静まり返った理科室。闇が刻一刻と深くなる。間の悪いことに、今日一日曇天であった空がこらえきれなくなってか、ぽつりぽつりと雨模様。

その時だ、理科室庭に面した引き戸が勢いよく開かれて、やや赤ら顔のおっさんが何やら叫びながら突入してきた。進む向きが私に向けられていたので、生徒には危害は及ばないとは思ったが、身構えた。彼曰く「せんせ! あまりにも非常識だろ! 下校時刻はとうに過ぎてる。こんな夜遅くまで女の子を残すなんてふざけるのもいい加減にしてくれ! あんたの給料は誰が出していると思っているんだ!」見ると、出入り口の戸は開けっ放し、足は泥だらけの長靴、酒の匂いがプンプン、威勢がいい。私曰く「お父さんですね。遅くしてすみません。今子供たちは一生懸命勉強している真っ最中です。」「みんな! 緊急事態が発生したから今日の満点学習会はこれで終わりにしよう。終わっていない人は家に持ち帰ってやってこい。明日提出だ。お父さんお母さんには、学校の電話で連絡をしておきなさい」「お父さん、まずはこちらへどうぞ」女の子は顔を隠すようにして机に突っ伏している。「お父さんと少し話をしてくるので、少し待っていてくれ。心配はいらないからね」面談室に案内したお父さんと二人、教育論の話になったが、二人になると私もいささか元気になり、教育持論を展開した。多分正論ではなかったような気がする。お父さんも大声で何か話していたが、私も熱っぽく応えた。不思議なものでその熱が伝わったのか、理科室に残した娘が心配になったのか、酒が少しさめたのか、最後には「先生、とにかく娘をよろしくお願いします」「私も言い過ぎたところがあり、お詫びします。今後ともよろしくご協力お願いします。」

長靴を手にしたお父さんと、満点学習会で使用したプリントを私に差し出した娘さんの姿が異様にまぶしかった。

 

映画の名シーン・・・のつもり

冬だ。今日は一日寒い。いつ雪になってもおかしくない。

満点学習会は、理科室で行うから、寒さが一層身に染みる。今日も常連が集まってきたが、とりわけ記憶力?(理解力?)に弱い男の子が一人取り残された。教科書を見ながら、説明を付け加えながら、プリントを何度も取りかえて挑んだ。時刻は9時を回って外は真っ暗だ。鉛筆を握る手が一瞬動きをとめて、顔を上げた彼がつぶやく。「あっ!雪だ」「ほんとだ、雪が降ってきたな」二度目に顔を上げた彼がつぶやいた。「あっ!お母さんだ。」理科室から遠く離れた通りにあるぼやけた街灯の下に、赤い小さな車が止まった。しばらくして提出してきた答案用紙は満点だった。丸を付ける私の手元を凝視していた彼は、最後の丸を付け終わった時、「やったー」「頑張ったね!」満面の笑みをたたえて幸せそうだ。急げばいいのにゆっくりと身支度を整え、ゆったりと理科室を出る。

真っ暗闇の中に雪が降る。プロムナードの街灯にわずかに照らし出された雪と、その中を小走りに走る白い肩掛けカバンが踊る。「せんせい さようなら~」車に近づいた彼を迎えて、ドアが開く、次いでお母さんが前に出て深々と腰を折っている。まもなく、二人を乗せた赤い小さな車が姿を消してゆく。

その彼とは、今も私と半定期的に食事会を重ねているが、ほとんどが彼の方から声をかけてくるので、済まないと思っている。

 

ほとんど自己満足の世界で恥ずかしいが、それでも少しは子供たちのためになったのではと思う。その当時はある新聞社や出版会社編集の実力テストなるものがあって、地区一斉に実施され、個人だけでなく教科の学校順位まで分かってしまう。自慢話と取られてもいいが、理科教科はそのころトップクラスを維持していた。

                                  30.10.1