やぶれかぶれの理科教諭その1

一応、理科教諭・・・のつもり

 

宇都宮大学中学校教員養成課程理科で入学。途中から教育学部に名称変更。理科物理学を選び、卒業論文量子力学演習を済ませることで認められる。

私はもともと研究肌ではないので、この程度で私にはあっていたが、研究室の教授にとっては迷惑この上ない。何せ知識がないから学力がない。従って学問への熱意がないから積極性がない。教授には本当に迷惑をおかけし、ただただ恥ずかしい限りで、その上単位までいただき、無事に卒業できたことを感謝しています。しかし、人生何が起きるかわかりません。その教授に現在の妻との仲人まで引き受けてもらいました。教授は今はこの世におられませんが、奥様との交流は今も取らせていただいております。

そんなわけで、教員採用試験は多分最劣等で合格になったのでしょう。新任地は、実家からはるか離れた県東端の、当時県下最少人口の町といわれたO中学校でしたが、周りは田んぼに囲まれ、北に日光連山、東に八溝山系、近くを那珂川の大河が流れているという、ぞくぞくするような魅力にあふれたところでした。私のために用意してくれた学校でした。

そこでの生活が、私の理科教諭としての基本中の基本を教えてくれたわけで、ここで初めて理科教諭の面白さを知ることになりました。目を上げると八溝山系が軒を連ね、町東端には、滔々と流れる那珂川が私を呼んでいます。呼ばれたからにはいかねばならない。土日の部活動終了後は、子供たちと植物採集や化石発見の旅に出かけます。夏には那珂川に水浴びに誘い出し、よくまあ事故が起きなかったと、今になって胸をなでおろしていますが、当時は学校にプールがなく、毎年水難事故がある那珂川でも場所を選べば、水泳禁止のお触れは出ていなかった(?)のです。

理科教育は、動植物の観察から始まるのが常套手段、を地で行く環境が私を奮い立たせます。もう楽しくて楽しくてたまらない。子供との付き合いが深くなると、授業にそれが現れます。理科室に飛び込んでくる生徒たちは、そのまま理科授業のアシスタントになり、実験準備はほとんどが生徒たちの手になります。試験管の洗い方、薬包紙の使い方、薬品の注ぎ方、バーナーの点火の仕方、顕微鏡の使い方 等々実験に必要な基本的作業は改めて教えなくとも、遊び半分で覚えてしまう。だから、授業中はポイントだけ指示すれば、あとはみんなで教え合って、実験技能は身についてしまう。

新採教員には、研究授業が回ってくる。どういうわけか、採用されたその年に、全新任理科教員が集まる研究会場となってしまった。優秀な連中の前で、私がまな板の鯉になるわけで、研究授業をせねばならない羽目になった。これは困った。理科教諭としての素養がまだ備わっていないこの私が研究授業をやることになったのだ。しかし、よく考えると、問題の多い授業をした方が集まってくる先生たちには勉強になるはずなのだ。そこに気が付いた私は、逆に面白くなった。先輩教師、そして時折指導主事の指導を受けながら、どうやら指導案が完成した。賢そうな顔がいっぱい集まった。相変わらずの賑やかな理科授業が始まり、無事に(?)終了。クラスのリーダー格の一人が、理科室を出る前に一言「先生! 案外落ち着いてましたね。お疲れさまでした。」こうなるとどちらが先生だか分からなくなる。

授業研究会が始まった。今となっては何を言われたか定かではないが、あまり良い評価はされなかったように感じる。結局それはある意味反面教師で、集まった先生方の勉強になったはずだ。私は褒められなかったが、指導主事からは、生徒の積極的な動きと実験の手際の良さを絶賛してくれた。これでいいのだ。あとは私が少しずつ成長すればいい。

以上が、私の新採時の一コマですが、そんな楽しい生活も、私の結婚話が持ち上がり、2年でその地を離れることになった。涙が流れて止められなかった。